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ハイボールはなぜここまで流行ったのか~その陰にいたある黒子部隊の奮闘とは?

2020年8月27日 12:31 pm

角ハイブームが長期にわたり凋落傾向にあったウイスキー市場を救った

 サントリーウイスキー〈角〉による「角ハイボール」ブームが牽引し、空前のハイボールブームが起きたことは記憶に新しい。もはやハイボールは当たり前の定番ドリンクとして、飲食店のみならず、家庭でも定着している。しかし、ほんの12年前まで、誰一人として今のような状況を想像してはいなかった。

 もちろん、それまでもハイボールという飲み物はこの世に存在していたが、それは一部のバーで愉しむ程度で、一般的にウイスキーの飲み方は、ナイト系酒場での「水割り」が圧倒的だった。では一体なぜ、突然、我々の前にハイボールが現れ、一大ムーブメントを巻き起こし、定着に至るまでになったのか。その秘密を紐解いていこう。

 実は仕掛け人であるサントリー酒類には、グルメ開発部なる部署がある。総合酒類メーカーの中でもこうした組織は極めて希有で、その歴史の長さもさることながら、掘り下げた専門性についても、他のビールメーカーの追随を許さない。

 この部署は営業部隊と連携しながら、飲食店の業態開発や、ドリンク・フードメニューのトレンドを創っていく部門として、業界ではよく知られている、特殊部隊ともいえる専門部署だ。しかし、その活動の詳細はあまり明らかになっていない。

 現在、東京支社第2支店長に異動になった秋山存(あきやま・たもつ)さんは、丸23年間、グルメ開発部に所属し、2015年から5年間、部長を務めた。その秋山さんに、35年の歴史を誇るグルメ開発部の活動内容を聞いてみた。「ミスターグルメ開発部」とも言える秋山さんによれば、1984年オープンの「JIGGAR BAR( ジガーバー)」からこの部署の活動はスタートしたのだという。

サントリー酒類・東京支社第2支店長秋山存(あきやま・たもつ)さん

 「ワンジガー=45㏄」をコンセプトに、古き良きニューヨークのスピークイージー(禁酒法時代のアルコール密売所)の世界観を演出したバーで、全盛期には74店舗まで拡大し、カジュアル・バーのトレンドを牽引した存在だ。「洋酒が売れる店づくり」というのが、創部からのコンセプトだった。

グルメ開発部創部のコンセプトを具現化した店こそが《JIGGAR BAR》だ

 以来、「ウイスキーが売れる店とはどういう店か」をずっと追いかけ、掘り下げてきた。現在は、「売れるようになりウイスキーの需給が厳しい」(秋山さん)ため、「消費者にとって価値ある提案を通じ、得意先の盛業支援とメーカーとしての価値創造を実現する」へと、グルメ開発部のミッションも変えてきたという。

 東京・四ツ谷にグルメ開発部専用のテストキッチンを持ち、そこに元バーテンダー、元シェフらが、ドリンクスーパーバイザー、フードスーパーバイザーとして、日々、開発に勤(いそ)しんでいる。このドリンクSV、フードS V、そしてディレクター(企画・推進)がグルメ開発部の人員構成で、現在、東京・大阪で総勢30人、このうち半数がSV。①業態開発②ドリンク・フードのメニュー提案③パントリー提案やドリンク研修などの各種提案&研修――などのサポートを行う、外食専門の裏方部隊だ。

 「ジガーバー」以降、苦しかったウイスキー需要の流れが変わったのは2008年、リーマンショックの年だった。グルメ開発部は、タワーから注いだハイボールをジョッキで飲むスタイルの「角ハイボール酒場」業態を開発。その仕掛けに動いた。銀座・コリドー街の「立呑みマルギン」がそれで、「角ハイボール酒場」発祥の店だ。

 グルメ開発部は、ドリンク、飲み方、そして、それを提供するための機材の開発から手掛ける。その最たる例が、ハイボール用のサーバーである「ハイボールタワー」の開発だ。実は、角ハイボールのメニュー&レシピは「1990年代にも提案し続けていたが、当時はどうにもバズらなかった」と、秋山さんは述懐する。

 07年から10カ月かけて、おいしいハイボールを安定的に供給するための機材として、「ハイボールタワー」を開発。08年から、グルメ開発部はスピリッツ営業部と連携し、完全にハイボール酒場の活動に舵を切った。この機材の開発がとても大きかったと、秋山さんはこう続ける。
 「タワーができるまでは、店でハイボールが出るのはせいぜい月に3杯くらい。それがタワーの登場により、1日に100杯の世界を実現できるようになった」

角ハイブームの陰に安定的なおいしさを提供し続けられるための「サーバー革命」があった(写真はゼウス)

 実際、銀座の「立呑みマルギン」では1日300杯(コロナ前実績)を売る。タワーの開発は、「超炭酸」「冷たい」「味がブレない」といった3つの重要な要素をクリアした。そして、何より、グルメ開発部が開発した「1対4の黄金比率+カットレモン先搾り」のレシピとの組み合わせが、一大ムーブメントを巻き起こした理由だった。

 それは2代目ハイボールタワー「ゼウス」の登場(10年~)でさらに昇華し、飲食店にとっても、「ゼウス」の設置は当時、ちょっとしたステータスとなったほどだ。

 タワーのガスボリュームは当初の5.25から現在は6.0と、まさに「超炭酸」の世界を実現している。この6.0のガス圧というのは、わかりやすく言うと、シャンパーニュ(5.0~6.0)と同レベルかそれ以上のシュワシュワ感ということになる。

 ところが角ハイブームと共に、コーラ割りやカルピス割りなどのバリエーションメニューが登場し、ウイスキーハイボールでありながら、割材に頼るチューハイ方向に進みはじめたことから、事業部方針もありグルメ開発部としてはすぐにブレーキをかけた。

 そこから仕切り直しをして、〈白州〉や〈山崎〉への誘導を開始。その時に開発したのが、11年から展開した「新橋1923」をはじめとする「ハイボールバー」だ。

〈角〉より上のセミプレミアムのハイボールをカジュアルスタイルで飲んでもらう《ハイボールバー新橋》は割材ではなくウイスキーの銘柄に繋げていく戦略的な位置付けの業態だった

 「ハイボールバー」は、天然水のソーダを使い、〈角〉より上のセミプレミアムのハイボールをカジュアルスタイルで飲んでもらう業態で、「割材ではなくウイスキーの銘柄に繋げていく」戦略的な位置付けだった。そして、米国・ビーム社を買収したことで、18年からは、バーボンの品揃えを増やした「ハイボールバー 2ndステージ」の展開が始まった。

 現在は「ハイボールを継続しつつ、ビール一択の次の選択肢として、レモンサワーやお茶割り、さらには〈六(ろく)〉〈翠(すい)〉といった国産クラフトジンを使ったジンのソーダ割りなどを提案している」(秋山さん)のだという。これが直近までのグルメ開発部が仕掛けたドリンクトレンドの流れだ。

 まさに、ゼロイチから角ハイブームを仕掛け、大きなウイスキートレンドを創り出したグルメ開発部。角ハイと共に歩み、飲食店に寄り添う格好で今に至っている。最後に、数々の業態を分析し、仕掛けてきた秋山さんに、「これからの業態」を聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。

 「飲酒業態を分析すると、和なら居酒屋や酒場、洋ならバルやバー、パブとなるが、その中で新しいメニューや環境は出てきても、いわゆる新業態というものはなかなか出てこないだろう。その会社の世界観やお得感など、強みでお客さんとどう繋がっていくか。例えば、使い勝手がいい、スタッフがいい、コスパがいい――だから再来店するというのが飲酒業態。強みや世界観で繋がることがより重要になる」

 飲酒業態ではQ(品質)S(接客)C(衛生)+A(アトモスフェア)、のアトモスフェアがカギになると、秋山さんは強調する。それは活気であり、格好良さであると。「洋酒が売れる店づくり」からスタートしたグルメ開発部は、ハイボール人気を作り、いまは飲食店の盛業支援へとそのミッションを変えた。このコロナ禍でも、グルメ開発部は創部当時と変わらず、飲食店に寄り添う姿勢には、寸分のブレもない。